沿革the history

京都市立堀川高等学校 沿革

昭和23年学制改革により新制高校が誕生するや、京都は小学区制・総合制・男女共学制の原則を立てて市内公立高校を再編成した。
本校は、明治41年創立以来京都市立堀川高等女学校として40年の歴史を持つ校舎に拠り、中京地区を中心に普通・商業・家庭及び音楽の4課程を設置、約2,000名の生徒を擁して、京都市立堀川高等学校として発足することとなった。

昭和23年10月20日 開校式   吉原好人学校長に就任
23年11月6日 PTA結成 育友会として発足
23年11月9日 生徒会発足
24年4月12日 校章・バッジ制定
25年2月26日 旧京都市立堀川高等女学校同窓会と本校同窓会が合同  堀川同窓会として発足
25年5月13日 音楽課程に専攻科設置  修業年限2年
25年5月27日 財団法人京都市立堀川高等学校教育財団結成
26年4月8日 上京区出雲路立本町103に出雲路分校設置
27年3月31日 出雲路分校廃止(音楽専攻科は京都市立音楽短期大学に昇格)
出雲路分教場設置 音楽課程を収容
27年4月15日 吉原好人校長退職 平井乙麿学校長に就任
27年7月22日 平井乙麿校長退職 米田貞一郎学校長に就任
28年3月7日 家庭課程廃止
31年9月5日 音楽課程 左京区聖護院円頓美町に移転
34年6月10日 生徒食堂落成
38年3月31日 全日制商業課程廃止
38年4月1日 米田貞一郎校長転出 向井寛学校長に就任 普通課程・音楽課程高等学校として発足
40年3月31日 向井寛校長退職
40年4月1日 三木正雄学校長に就任
42年10月6日 体育館竣工
45年3月31日 三木正雄校長退職
45年4月1日 服部梶蔵学校長に就任
51年3月31日 服部梶蔵校長退職
51年4月1日 水上良市学校長に就任
51年4月24日 生徒新食堂落成
52年4月12日 水上良市校長転出 高倉貫太郎学校長に就任
54年3月31日 高倉貫太郎校長退職
54年4月1日 仲田一郎学校長に就任
55年2月23日 校歌・校旗制定
55年4月1日 音楽科 西京区大枝沓掛町14-26に音楽科分校として移転
55年7月10日 視聴覚・図書館・情報処理棟(A館)竣工
56年3月31日 仲田一郎校長退職
56年4月1日 門前和学校長に就任
57年3月31日 門前和校長退職
57年4月1日 多田孝敏学校長に就任
60年3月31日 理科・工芸実習棟(B館)竣工
61年3月31日 多田孝敏校長退職
61年4月1日 恩田修三学校長に就任
63年3月31日 恩田修三校長退職
63年4月1日 塩見徳男学校長に就任
平成2年3月31日 塩見徳男校長退職
2年4月1日 三宅宗純学校長に就任
平成4年3月31日 三宅宗純校長退職
4年4月1日 河村正学校長に就任
8年4月18日 育友会 堀川高等学校PTAと改称
8年9月17日 校舎全面改築開始
9年3月31日 河村正校長退職
9年4月1日 山崎晃学校長に就任   音楽科 京都市立音楽高等学校として独立
11年4月1日 新校舎に移転   人間探究科・自然探究科設置
12年4月28日 グラウンド等外構整備完了
13年3月31日 定時制課程閉制
14年5月23日 スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の認定を受ける
15年3月31日 山崎晃校長退職
15年4月1日 荒瀬克己学校長に就任
17年4月1日 スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の5年間延長の研究指定を受ける
17年8月17日 本能館竣工
20年10月20日 創立100周年
堀川憲章制定
22年4月1日 スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の研究指定校及びコアSSH採択校となる
24年3月31日 荒瀬克己校長転出
24年4月1日 川浪重治学校長に就任
国際バカロレアの趣旨を踏まえた教育の推進に関する研究指定を受ける
26年3月31日 川浪重治校長転出
26年4月1日 恩田徹学校長に就任
スーパーグローバルハイスクール(SGH)の研究指定を受ける
27年4月1日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の再度研究指定校(5年間)となる
30年3月31日 恩田徹校長退職
30年4月1日 谷内秀一学校長に就任


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高等女学校の沿革

高等女学校の校歌 堀川高校の沿革はこちらへ
明治41年(1908) 2月22日 京都市立高等女学校設置の件認可。(本科定員600名・修業年限4年)
4月15日 入学式挙行。(1・2学年計350名、7学級)
4月27日 清水儀六氏学校長に就任。
明治42年(1909) 4月 第3学年設置。4学級増設。
明治43年(1910) 4月1日 第4学年設置。3学級増設。
9月27日 東宮殿下(大正天皇)御来臨。
明治44年(1911) 10月29日 補習科設置。前5学級。
大正2年(1913) 4月1日 (定員を700名に増加)
大正4年(1915)   皇室御下賜の幄舎を材料として記念茶室一棟および弓場を建築落成。
大正6年(1917) 3月31日 (17学級定員800名)
11月14日 皇后陛下(貞明皇后)御来臨。
大正7年(1918) 6月15日 創立10周年記念祝賀式挙行。
大正8年(1919) 6月28日 野田一郎氏学校長に就任。
大正10年(1921) 2月3日 本科修業年限を5年に延長。(定員1000名)
大正11年(1922) 4月 京都市立第一高等女学校と改称。
大正13年(1924) 3月 補習科廃止。
4月1日 専攻科設置。(2学級定員80名、修業年限2年)
大正14年(1925) 3月 本館(講堂)改築工事竣成。
昭和3年(1928) 4月1日 京都市立堀川高等女学校と改称。
昭和4年(1929) 4月1日 専攻科修業年限を3年に延長。(3学級・定員120名)
昭和6年(1931) 10月 校舎全面改築工事に着手。
昭和7年(1932) 7月 第一期工事竣工。(旧校舎正面及び北側、鉄筋タイル張り3階建)
昭和8年(1933) 4月15日 創立25周年記念式挙行。
昭和9年(1934) 4月1日 専攻科修業年限を2年に短縮。
昭和11年(1936) 3月 専攻科廃止。
4月1日 補習科設置。(修業年限1年、定員50名)
7月 第二期校舎建築に着工。
8月23日 岡磯彦氏学校長に就任。
昭和12年(1937) 3月 第二期工事竣工。(旧東側校舎)
昭和16年(1941) 7月4日 塩見亀蔵氏学校長に就任。
8月23日 原與作氏学校長に就任。
昭和18年(1943) 4月1日 補習科廃止。専攻科修業年限1年設置。本科修業年限を4年に短縮。
昭和19年(1944) 8月 校舎の一部を学校工場に転用。
昭和20年(1945) 8月15日 学校工場閉鎖。
昭和21年(1946) 9月20日 教頭河島英夫氏学校長事務取扱に就任。
昭和23年(1948) 3月31日 堀川高等女学校閉校。


沿革the history

堀川高校の校歌

作詞 相馬大 / 作曲 伊吹新一
堀川高校校歌

1.
堀川の空の雲は
比叡染めゆく窓に飛ぶ
ひらく窓よ高く
謳え理想の空
しろい雲のある窓に
2.
堀川の笛の花は
みどり肩くむ庭に咲く
ひびく庭よ尚く
光れ文化の笛
わかい花の咲く庭に
3.
堀川の道の星は
行方織りなす丘に出た
まるい丘よ崇く
続け真理の道
きよい星のある丘に


沿革the history

高等女学校の校歌

女学校校歌

1.
平安の都の最中礎の
しずめは固く天そそる
蔑はたかし
これぞ我が学びのうてな
2.
朝夕におのれを忘れ文のやの
久遠の望みかざしつつ
教えて倦まず
これぞ我が学びの親よ
3.
堀川の岸辺の柳ふきすさむ
風にも折れずたおやかに
和らぐ姿
これぞ我が学びの友よ
これぞ我が学びの親よ
4.
聡き智ほ玉なす徳に取添えて
この身を鍛へ生ける世の
をみなと立たん
これぞ我が学びのつとめ


沿革the history

堀川高校の生徒歌

作詞 連隆文 / 作曲 岩上行忍
堀川高校生徒歌

1.
緑なす森風にそよげり
木の間もれ来る明き光に
若き狩人獲物追ひつつ
口笛の音の及ばむかぎり
逃すはあらじ若き狩人
立てや立て心のままに
立てや立て汝は得撓まじ
2.
緑なす森風にそよげり
流れに映る青雲の影
若き狩人あゆみ移せば
繁き露にぞその身潤ほい
樹々の間深く木霊呼ぶなり
踏めや踏めやさしき脚に
踏めや踏め汝は得撓まじ
3.
緑なす森常盤の森に
風立ち騒ぎ変りありとも
若き狩人たゆむことなく
永久に住みつつかけ廻りなん
若き狩人汝に幸あれ
集へいざ心のままに
いざやいざ共に讃へん