同窓会の歩み the activity

 

明治41年(1908)京都市立高等女学校が開校し、同44年3月、111名の第1回卒業生を送り出すに当たり、京都市立高等女学校同窓会が結成された。そして大正11年(1922)校名が京都市立第一高等女学校になり、さらに昭和3年(1928)京都市立堀川高等女学校と改まるに伴い、同窓会もその名称を京都市立第一高等女学校同窓会、京都市立堀川高等女学校同窓会とそれぞれ改めた。
いずれの同窓会も各科の卒業生を会員とし、母校の現・旧教職員を客員としている。会長には学校長を推戴し副会長は客員中より会長が委嘱し、幹事若干名のうち客員幹事は会長の委嘱により、会員幹事は会員の互選によった。また同窓会費は入会後、市立高等女学校の場合4年間にわたり月額参拾銭宛を、また第一高等女学校、堀川高等女学校の場合5年間にわたって年額五圓宛を納めた。

総会は母校を会場に毎年1回開催されていたが、昭和8年、母校の創立25周年を記念し平安神宮外苑で盛大な園遊会を催した。戦時色が濃厚となった昭和16年の総会は、午前10時霊山護国神社で皇軍の武運長久を祈願し、午後は講堂で白衣の勇士多数を招待して歌や踊りで慰安した。また12年には会員の夫や子息が出征した場合に金弐円を贈呈して慰問することにした。

大正15年、京都市立第一高等女学校同窓会に神戸支部、大阪支部、東京支部が相次いで結成された。
同窓会館建設が昭和3年頃から要望されていたが、母校の校舎建て替えが始まり、二期工事が遅れたこともあって同窓会館の建設着工は12年末となった。生憎、建設費の高騰がひどく、積立金では賄い得ず、当初3階建ての設計を2階建てに変更し、さらに不足分を同窓会役員が急遽資金集めに奔走した。そのお陰で昭和13年3月にやっと竣工した。会館は事務室のほか同窓会の役員会やクラス会、各種講習会等に利用された。

大正9年に『同窓会誌』第壹号が発行され、当初は年2回発行されていたが大正13年の第十号からは年1回の発行となった。そして昭和17年発行の第二十八号以後発行されなくなった。
『同窓会誌』の発行は物資不足もあったろうが、太平洋戦争の激化で同窓会そのものの存在さへ無視され否、世情はそれどころでなかった。

戦後昭和23年4月、学制改革によって堀川高等女学校にかわって新制の京都市立堀川高等学校が誕生した。そして翌24年3月第一期生が卒業するに当たり、堀川高等学校同窓会が結成され、土屋茂夫君が会長に就任した。
堀川高等女学校は昭和13年、篤志家前田治助氏より山林三千坪の寄贈を受け、「西山養気園」と名づけ、学校演習林として活用していた。また京都YWCAが利用していた琵琶湖青柳ヶ浜のキャンプ設備を、昭和18年頃譲り受け、生徒たちに夏休みの活用を勧めていた。そうした資産も学校の消滅で宙に浮き、堀川高等女学校同窓会に委ねてみても、同窓会がすでに根なし草だったから同窓会館の設置とともに大きな宿題となった。
高等女学校同窓会では、出来たばかりの堀川高等学校同窓会にこの問題を委譲しようとの意見が出されたが、特に同窓会館建設に当たり資金集めに苦労したこともあって、賛否半ばして結論に至らなかったが、「将来、道楽息子が財産を食い潰したとしてもやむを得ないわねェ」との三林和枝さん(第1回卒)の一言で決断された。

二期生の卒業を前に昭和25年1月、初代校長清水儀六先生を伴って高等女学校同窓会の代表幹事三林和枝、幹事横江英、原ヨネの諸姉が堀川高等学校長吉原好人先生を訪ね、高等女学校同窓会と高等学校同窓会の合併を申し出られた。これを機に両者の間で十数回に及ぶ討議がなされ、昭和25年2月26日を以てお互いを解散しあらためて合併して、名称を「堀川同窓会」とし初代会長に三林和枝氏を選んだ。

堀川同窓会総会は昭和47年まで毎年企画されていた。特に第11回〜第18回までは5月第2日曜(母の日)に開催することが定例であった。しかし参加会員の数や当日の天候などで会場の設定が難しく、また催しもの(アトラクション)のマンネリ化が進んだ。
その間昭和27年頃から大阪、神戸、東京、大津などに同窓会支部会が復活したり結成されたりして、昭和30年頃から支部援助の名目で本部と支部との間に交流もあった。同窓会会員名簿は昭和33年と同41年に発行されたが、その後発行されていない。

高等女学校同窓会から管理権を堀川同窓会に委譲された・琵琶湖青柳ヶ浜のキャンプ場は象小屋を中心にカッパ小屋・山羊小屋・土人小屋などユニークな小屋が並び同窓会員は勿論、在校生の利用もあってにぎわったが、当時は江若鉄道の近江木戸下車徒歩30分と交通の便が悪く、水道や便所の設備も悪く、小屋自身も老朽化して昭和40年頃からは利用者もほとんどなくなった。改築の目途もなく、地主に権利を返還した。また苔寺の奥にある西山養気園は、所有権は有するものの管理が出来ず、隣接の十条製紙株の管理人に管理を委ねている。

同窓会所有であった同窓会館は、学校敷地内にあったので昭和23年4月の学制改革で京都市立堀川高等学校の開校に当たり、GHQの命令で「学校内にある第三者の建物は、即刻撤去するか又は市に移管せよ」となり、事実上京都市の所有となり堀川高等学校は図書館などに当て使用した。しかし老朽化も進み、生徒数の増加で教室不足を来し、昭和55年体育館(2階建)の建て替えに合わせ、解体して5階建て新館に変身した。
少なくとも第20回総会位までは一種のレクリエーション的価値もあったが、テレビの普及等によって人々の興味が多様化して総会参加者が極端に少なくなった。その為昭和47年の第23回総会をもって中断する結果になった。

また昭和34年から47年まで広報紙『堀川同窓会だより』を発行し会員各位に郵送していた。しかしこれも編集、発送の人手難や会員数の増加、郵便料金の値上げ、住所変更に伴う受取人不明での返送郵便の増加等々に加えて、同窓会を企画・運営していた若手年代の人たちが、それぞれの企業で中堅社員(企業戦士)となり、同窓会運営から次々に去っていった。
高度経済成長時代を通して、ちょうど太平洋戦争が激化した頃のように、同窓会への関心もうすれ、必要もあまり感じなくなった。その上同窓会費は年額500円、3年で1500円が終身会費であったから、会員の増加と郵便料金を初め諸物価の高騰で人材難、財政難に責められていたが、わずかに文化祭・体育祭に母校を後援し、卒業生に会員名簿を贈呈するなどの事業を続けた。

この度の創立記念事業を見越して、名簿の原簿作りなどの為、週に一度女性事務員(時間給)に手伝ってもらっているが、住所変更など事務処理も十分とは言えない。然したる事業も出来なかったことにも因るが、記念事業に対して多少の資産は蓄える事が出来た。何十年もの間、同窓会費の値上げは出来なかったが、平成11年度より年額1500円、3年で4500円の終身会費と改正された。

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